- 中野駅前の歯医者「まりこ小児歯科・矯正歯科」TOP
- 院長あいさつ
Doctor歯科医師として母として
お子さまとお母さまとともに
私は、小児歯科や矯正歯科を専門におこなう歯科医師として、そして2児の母として、お子さまやお母さまの内面に寄り添い、不安を減らし、お悩みを解決できるように日々診療にあたっています。お母さまやお子さまが前向きにお口まわりの知識を深め、口腔ケアの意識を高められるように、そして、生涯を見据えた健康につなげられるようにサポートいたします。
当院は、完全個室のプライベートな空間でスタッフが協力し合いながら、「育む」心でお母さまとお子さまとともに歩む歯科医院です。
院長まりこ先生について
院長の幼少期から開業までの生い立ち、そして将来のビジョン
目標に向かって頑張ることもなく、ぬるま湯ですごした幼少期
代々医師が多かったため、幼少期より「医療」は身近な存在ではありました。しかし、幼稚園からたまたま受験のないエスカレーター式の学校で過ごしたこともあり、のんびりと、全くと言っていいほど受験勉強をしないまま、高校生になっていました。すっかり理系科目は苦手に、「医療関係の仕事」を目指すどころか、これといった明確な目標も見つけられずに、将来の進路を決める時期を迎えていました。
歯並びの治療を経験し、やはり医療の道を目指すことに
ちょうど高校3年生になったとき、ずっと悩んでいた「歯並び」を治すために、矯正治療を開始することになりました。進学や将来を考えていたタイミングで、のちの母校となる歯科大学附属病院に通院することになりました。私が受けた矯正治療は、4本の歯を抜いて針金を使うものでしたが、その時の痛みは相当なもので、今でも記憶に残っているほど。しかし、みるみる歯が綺麗に並んでいく様子を目の当たりにし、感動さえ覚えました。いま思えば、いざというときに踏ん張ることができなかったのは、噛み合わせが悪かったせいかもしれません。実際、矯正治療後からは、どんどんエネルギッシュになり、とことん頑張ることのできる性格になりました。
矯正治療を行った時の感動と、当時、治療を担当してくれたのが女性の歯科医師だったこともあり、改めて「医療」の道に進もうと決めました。そして、文系だった私は急遽理系へ転向し、母校に入学することにしたのです。
ふたたびやる気が急降下した大学時代
大学入学時は、当初の志のとおり矯正歯科に進もうと考えていました。真面目な性格ゆえ、大学での授業に期待に胸を膨らませ、試験勉強や部活動と、新たな生活に励んでいました。試験前には対策プリントを作ってみんなに配ったり、ポイントを伝授したり、微力ながらも友達の役に立てる喜びを感じながら、楽しい大学生活を送り始めました。しかし、次第に私の心に暗雲が立ち込めてきたのです。
学年が上がると、歯を削る方法・詰める手順・使う材料についてなど、技術的な授業ばかりが増えていき、当時の私は、「歯科医師とは、歯の大工なのか」と失望しました。なぜなら私は、「歯科医師とは、人間の身体のことを深く学び、歯を通して人の心と身体を治す仕事ができるもの」と思っていたからです。そして自分は、「一生ただ歯を削っていくだけの人生なのか」と絶望し、すっかり「歯科医師」へのモチベーションを失ってしまいました。当時、この深い悩みを話せる人はひとりもおらず、考えないように心に蓋をしながらも悩み続けていました。
しかし、5年生の実習で全ての科を回ったとき、小児歯科の現場で、他の科にはない、ドクターと患者さま、保護者の方との寄り添いを見て、「これだ!」と湧き上がるものを感じました。小児歯科には、10年近くも同じドクターを求めて通っているお子さまもおり、長い年月をかけ、ともに頑張っている様子が私の心に刺さったのです。さらには、自分が経験したあんなに痛かった針金を使った矯正ではなく、幼少期から歯並びを適切に見守っていれば、歯を抜かずに痛みのない簡便な装置で歯並びをきれいに動かせる治療があることも目の当たりにしました。
私自身は矯正開始時期が遅かったために受けられなかった小児矯正。「小児矯正の必要性を知らなかった」がために、私のような痛い歯を抜く矯正という選択肢しかなく、後悔はしてほしくない、ぜひこれを学び「多くの人に知ってもらわなければ!」と私の心に火が着いた瞬間でした。そして、小児歯科医を志すことに決めたのです。
大学を卒業し、研修医に
卒業後は母校、日本大学歯学部附属歯科病院で研修医生活を送りました。周りは当然知っている先生方ばかり、困ったことがあればすぐに回りがフォローしてくださる温かい環境。小児歯科医への熱い思いがあったはずなのに、温かく見守られていることに甘え、学生の延長のような生活を送ってしまっていました。がむしゃらさ、が欠けたまま研修医生活が終わり、小児歯科学講座に入局。しかしそんな中、のちの私に大きな影響を及ぼす転機が訪れたのです。
歯科医師人生を変えた先生との出会い
医局からの紹介先である、「しおの歯科医院(現在も北浦和でご開業)」の塩野英昭先生との出会いが、私の歯科医師人生を大きく変えました。初日から1ヶ月くらいは、「まず見ていろ」と言われ、ひたすら、塩野先生の診療を見続けていました。少しずつハードルをクリアしていき、患者さまの診療を任せてもらえるようになりました。誠実に、そして着実に診療をこなすことで確実に私の心身は鍛えられ、技術も身に付き、日々の診療に自信が持てるようになりました。
塩野先生には、一に、「目新しいことばかりにとびつくのではなく、当たり前のことを正確にする大切さ」を、二に、「患者さまが何を一番求めているかを見抜く」ことを教わりました。大学ではあらゆる検査を重ね、時間をかけた治療計画を患者さまにご提示していました。それは勿論、大学病院では必要で重要なことではあります。
しかし、塩野先生は、初診時に、瞬時に「正しい診断」をし、「精密な治療を早く」行っていました。初診時の段階で、患者さまに治療計画をご説明していたのです。来院した日に治療のゴールまでが明確にわかり、その瞬間安心する患者さまの様子を見て、これまでにない感動を覚えました。そして、基本を大切に、決して患者さまの負担になる「やり直し治療」がないように、という教えは私の診療の基盤となっています。私が保守的な人間であるせいもありますが、一貫して「奇をてらった治療はしない。基本に忠実に、正確に。」というポリシーはずっとブレないまま、今も診療にあたっています。
他の医院でもたくさんの研鑽を積みましたが、いまの私をつくってくださったのは、まぎれもなく塩野先生です。将来のことを真剣に考える機会を与えてくださり、女性だろうがとにかく仕事に打ち込めと励ましてくださった先生のおかげで今の私が在ります。大したこともできなかった私に「世の中の役に立っている」と言ってくださった先生の言葉は、私の心に火を灯し、自問自答しながらも、この言葉を励みに仕事に邁進するようになるのでした。
命の大切さ、心身の健康の大切さを痛感した板橋病院時代
その後異動した日大板橋病院顎口腔外科は、非常に救急外来の患者さまも多い、体力とスピードを要する現場でした。ここでは数多くの救急外傷処置や、外科手術だけでなく、麻酔科研修で医科の全身麻酔や全身管理も学ぶ貴重な機会も頂きました。精神病院の入院患者さまの歯科治療にもあたりました。当直もあり、週6~7日勤務でしたが、これまで以上に「命」に近い現場で働くことで、より、心と体の健康の大切さについて、考えるようになりました。
そして、毎日臨床にあけくれる充実した日々ではありましたが、ふと立ち止まりたい、今一度腰を据えて「学びたい」という想いが湧き上がってきました。当時は、ちょうどiPS細胞が世間をにぎわせていた頃。どうせならば、いまやりたいと思っている再生医療の研究を、東大病院で携わりたいと考えるようになりました。思い立ったらすぐ行動!という性格と、「何かを始めるのに遅すぎることはない」という信念もあり、決めた翌日には東大病院口腔外科医局の教授にお電話をしていました。そして、大学院の過去問10年分を購入し、ひたすら勉強に打ち込み、大学院入学を決めました。
大学院入学と長女の出産
しかし、大学院の入学は長女の出産と重なりました。生後5か月には長女を学内の保育園に預け、出産前と同じように週6~7日の研究生活が始まりました。週末も、長女を抱っこして、実験マウス部屋に行ったり、顕微鏡をのぞいていた日々。振り返ると、大変だったの一言では言い表せないほど壮絶な毎日でした。しかし、毎日、家族やまわりの人たちに申し訳ないと思いながらも、やめられない自分。初志貫徹したいという自分の意志に従い、駆け抜けた4年間でしたが、その日々は間違いなく、私の人生で最もなくてはならない、重要な時間でした。
院生時代、長女の体調が悪くなり夜間救急外来に連れて行った日も多々。そこでだんだんと夜が明けていき、一睡もしないまま朝8時からのカンファレンスに滑り込んだことも数知れず。しかし、当時はまだあまり所属研究室に母親院生がいなかったこともあり、絶対に弱みを見せたくない、そして結果を出さなければならないというプレッシャーがありました。
卒業を控えた4年目終盤は、夜中2時過ぎまで大学に残り、極限状態の時期もありました。大学は、冬は夜寒すぎて手袋をしながらパソコンに向かっていました。しかし、周りの方の沢山のサポートや研究の指導をしてくださった尊敬してやまない上司の方々への感謝の気持ちでいっぱいだったこともあり、どんなに辛い時も少しもやめたいという気持ちになることはありませんでした。
大学病院勤務時代・大学院時代に培われた、精確な診療
大学院卒業後、第二子を出産しました。当時は特別な産休制度もなかったので、産後8週で大学病院の診療に復帰。加えて開院したばかりの夫の本院での診療がスタートしました。大変でなかったはずはないのですが、毎日が充実しており、やはり私は仕事が大好きなのだと再認識しました。結局、大学卒業から現在までほぼブランクなく、この仕事を続けています。
私は、根本的に真面目な性格。大学院時代は、上司からの指令には、最速かつ精確にタスクをこなすことを命がけでやっていました。間違えました、できません、間に合いません、は許されない医療の世界で生きてきたため、失敗はあってはなりません。時間や手技、決められたことをミスなくきちんとこなすことが私のウリであり、生真面目な性格はこの仕事に合っているのではないかと思います。しかし、のちにこの真面目な性格があだとなることになりました。
母親になって痛感した、母親の大変さ
母親になる前は、「母親は忙しい」「母親は大変だ」ということが、本当の意味で全くと言っていいほどわかっていなかったのです。実際に自分がその立場になって初めて、身に染みて実感しました。自分が子育てを経験したことで、いかにこれまでの自分が、教科書のマニュアル通りで、柔軟性の足りないご説明をしていたかということに気づきました。私は大きな間違いをしていたのに、黙って見守っていてくださった先生方や患者さまには申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
母子ともに疲れ切って仕上げ磨きもせずに寝てしまったり、甘いおやつを何回もあげてしまったり…。はやくしなさいとばかり言って、よく噛んでいないかもしれない…。そんなこと、正直私も子育て中幾度とありました。だからこそ、今は、お母さま方それぞれの状況をなるべく考慮して診療にあたるようにしています。お母さま方は皆、日々時間に追われ、常に自分のことを後回しにしながら、お子さま最優先で過ごしているはずです。そして、お子さまにまつわる全責任を自分が背負わなければ、いや、背負うのが当然というくらいの覚悟で子育てを行っているのではないでしょうか。誰しも、異なる想い、異なる環境で、それぞれのご事情を抱えて生活していらっしゃるはずです。それを全て理解できていないのに、頑にマニュアルや理想論を申し上げるのは、大きな間違いでした。
忙しい合間をぬって、お子さまの健康や教育に関して情報収集をし、わざわざ当院にお越しいただいているので、それだけで「ありがとう」という気持ちでいっぱいです。「お母さま」は皆、常に出来る範囲で「精一杯」のはず。なので私は、自分が皆さまと関わることで、ほんの少しでもお母さま方が背負っている荷物を軽くできたら、といつも願っています。お子さま方の成長、性格、取り巻く環境は皆それぞれ異なります。可能な限りそれらを考慮し、そして常に「自分の子供だったら」を意識して、治療のご提案を行っております。
ただいまの地、中野での開業
東京都文京区で育ってきたため、都内で開業することは絶対の希望でした。大学は御茶ノ水駅にあり、学生時代、一人暮らしの友人の多くは中央線沿線、なかでも中野駅に多く住んでいました。夜な夜なテスト勉強をしたり、あれやこれやと語り合ったり、密に苦楽を共にした仲間達とよく過ごした中野は、私の歯科医師としての基盤をつくった思い出の場所です。私にとって「ただいま」の地、中野のお母さま方に心からの安心をご提供できるよう努めて参ります。
温めてきた歯科医院開院の決意
父は会社を経営、祖父は産婦人科を開業していた影響もあり、いつからか自分も「社長になる」とひそかに、強く、心に決めていました。自分が母親になってからは、益々開業したいという想いが募りました。自分の心の中で温めてきた唯一無二の「小児歯科」を、どうしてもつくりたかったからです。それが、お母さまとお子さまに心から寄り添うための、「診療室が1台だけ」の医院です。
私はこの完全プライベートな空間で、母として歯科医師として、自分がこれまで経験してきたことを患者さまへすべてお伝えしていきたいのです。歯だけに限らず、教育や受験に纏わることまで、微力ながらお力になれることならば、なんでも遠慮なくお聞きください。志を同じくするスタッフや患者さまと同じ方向を向いて、お子さまの健やかな成長を願い、ともに育んでいくことが何よりの願いです。
私自身、診療の現場に行くたびに、お子さまやお母さまから様々なお話をお聞きし、とても有意義な時間をいただいています。歯科医師として何かを与える立場ではありますが、むしろ私のほうが元気づけられたり、子育て情報をいただいたり、いつも頑張ろうと思えるエネルギーをいただいています。ですので、お母さま方には、いつも「有難い」感謝の気持ちしかありません。これからも、皆さまと「お子さまを大切に育んでいく同士」として在りたいと、当院を開業する運びとなりました。
心のよりどころとなれる、プラスαをご提供できる医院へ
診療においての精確さは大前提の上で、診療以外のプラスαをご提供する医院であることが当院の目標です。お母さまやお子さまの内面に寄り添い、お口の健康を通してお悩みや日常生活についてなど幅広くコミュニケーションをとっていきたいと思っています。患者さまが何を望んでいるのか、本当に困っていることは何なのかを的確に判断し、本当に必要としていることをご提供できる、そんな安心して任せていただける医院を目指していきます。
患者さまへのメッセージ
たかが歯並びと思われるかもしれません。しかし、歯列不整によってうまく鼻呼吸ができず、口呼吸になることによって勉強への集中力が低下してしまったり、正しく噛みしめることができず、試験や部活動など、ここぞという場面で力を出し切れなかったりと、歯並びの乱れは心身ともに様々な悪影響を及ぼしかねません。
そのため、幼少期からお子さまの歯並びを整えることは、大事な成長期において正しい成長のラインに乗せてあげる大事な役割を果たします。歯並びの改善により、集中力が上がり、成績がアップすることも実証されています。
しかし、矯正は必ずしも早く行った方がいいというわけではありません。お子さま一人ひとりの成長に合わせて、適切な時期や方法を見極め行っていくことが大切です。まずは、お気軽にご相談にいらしてください。
学歴・職歴について
学歴 |
---|
|
職歴 |
---|
|
現在 |
---|
|
所属学会 |
---|
|